とてつもなく恐ろしい移民の話。1975年シッキム王国の滅亡。日本も既に危険水域か?
Youtubeチャンネル「世界史解体新書」で、恐ろしい歴史を分かり易く解説してくださっています。
ぜひご覧ください。
シッキムは長らく独立した王国として存在していたが、19世紀からイギリス領インドの影響下に入り、インド独立後は保護国としての立場でインド政府と特別な関係を持った。
しかし、移民による人口構成の変化により滅亡してしまった。
- イギリス植民地時代(19世紀〜1947年)
1817年、イギリスとシッキムは保護条約を締結。外交と防衛がイギリスに握られ、シッキムの事実上の独立性が縮小。
- インド独立後(1947年)
シッキムはインドの保護国として存続。外交や防衛をインド政府が担当しつつ、内政では王国としての自治を維持。
ネパール系住民が増加し、彼らの政治参加を求める動きが活発化。民族間対立が激しくなり、国内政治が混乱。
- インドによる併合(1975年)
1975年、国内の政治的混乱や民族対立の激化を理由にインドが介入し、住民投票を実施。
住民投票の結果(97%以上の賛成)を根拠として、シッキムはインドの正式な州として併合されることが決定。
これにより、約330年続いたシッキム王国は実質的に滅亡しました。
ぜひご覧ください。
シッキム王国の実質的滅亡
シッキムは長らく独立した王国として存在していたが、19世紀からイギリス領インドの影響下に入り、インド独立後は保護国としての立場でインド政府と特別な関係を持った。
しかし、移民による人口構成の変化により滅亡してしまった。
- イギリス植民地時代(19世紀〜1947年)
1817年、イギリスとシッキムは保護条約を締結。外交と防衛がイギリスに握られ、シッキムの事実上の独立性が縮小。
- インド独立後(1947年)
シッキムはインドの保護国として存続。外交や防衛をインド政府が担当しつつ、内政では王国としての自治を維持。
- 人口構成の変化と不安定化(1960年代〜1970年代)
ネパール系住民が増加し、彼らの政治参加を求める動きが活発化。民族間対立が激しくなり、国内政治が混乱。
- インドによる併合(1975年)
1975年、国内の政治的混乱や民族対立の激化を理由にインドが介入し、住民投票を実施。
住民投票の結果(97%以上の賛成)を根拠として、シッキムはインドの正式な州として併合されることが決定。
これにより、約330年続いたシッキム王国は実質的に滅亡しました。